一般社団法人
神奈川人権センター



排外主義、差別に、はっきりとNOを!

金秀一
(神奈川人権センター副理事長)

ご都合主義の外国人政策

 日本に在住する外国人の総数は、「在留外国人統計」によれば約300万人弱となります。戦後直後に在日していた朝鮮半島出身者200万人が解放による帰国で65万人に減少して以降、年々在日外国人の数は増加し、1990年の出入国管理法(入管法)改定時には約100万人。そしてこの30年間で3倍に増加したことになります。
 しかし日本政府の「在留」外国人に関する基本見解は一貫しています。「単純労働者」の受け入れはしない。外国人を受け入れない、移民政策はとらないというものです。現実には経済成長とともに労働力不足を補う形で外国人は増加しています。ある時期は「日系人」労働者、またある時は東南アジアから、様々な名目で呼び入れ、バブル期の3K労働、昨今の外食産業・コンビニ等、日本経済を支えている一翼は確実に外国人です。でも正面ゲートは開けないのです。サイドゲートからおいでというもので、「技能実習生制度」はまさにそうではないでしょうか。日本社会は約29%という高齢者社会で、減りゆく労働力を何とかカバーしないと経済は落ち込みます。でも外国人の永住は想定しない。何年かしたら帰ってもらいたいが能力の高い人は残ってほしいと、ご都合主義です。そのためか、日本社会には、排外的な思想が常に存在します。この現状のなか、日々憂慮する事態と遭遇します。

出入国管理法(入管法)の改定!?

 現在、出入国管理法(入管法)の改定案が衆議院法務委員会で審議されています(5月13日現在、与野党で修正案協議中)。※政府は5月18日改正案取り下げ方針で、廃案がほぼ決定した!!
 現行入管法の下、超過滞在等退去強制事由に該当する疑いがある者を収容することができ、難民申請中の外国人の長期収容が司法手続きなしに行われています。そして、何人もの外国人の長期収容者が、収容施設内で暴力、レイプ、疾病の放置等と全く許されない処遇を受けており、命を落とした人もいます。
 このような収容者の扱い等が大変問題にされています。この間、国連の各種人権条約実施状況を監視する委員会から勧告を受けてきており、2020年8月には国連の恣意的拘禁作業部会からも指摘を受け、その指摘に沿った法改正をするよう求められています。
 今改定はこれらの改善のためものだったはずです。しかし、改正案の内容は改善どころか移民・難民の排除につながるものです。日本は難民認定率が他の先進国と比べ極端に低く、2020年も47人、申請者に対する認定率は0.4%です(2019年の難民認定数は、日本が44人で認定率0.4%だったのに対し、ドイツ53,973人25.9%、米国44,614人29.6%、カナダ27,168人55.7%など)。そんな中で難民申請を3回以上行った申請者を、日本の判断で難民認定しなかった人を、強制的に自国に送還することが可能となるのです。これは難民条約の趣旨に反するものです。
 また、国外退去処分となった外国人が入管施設で長期にわたり収容される問題を解決する策として、弁護士や支援者などの監督のもとで収容施設の外で生活できる「監理措置」を創設し、逃亡した場合には刑事罰を科す制度に改定しようとしていますが、これも問題だとされています。先日も国連難民高等弁務官事務所が改正案に「懸念」を表明し、国連人権理事会の特別報告者も「国際的な人権基準を満たしていない」と再検討を求めています。さらにこれまで法務大臣裁量だった在留特別許可の申請手続が整備されますが、これまでのように定住性や子どもの最善の利益等について考慮されるということはなく、また、在留特別許可対象者の範囲が非常に狭いと言われています。
 もしこの改定案なら、国籍国で暮らすことが困難になり日本に救いを求めて来た人たちを、日本政府、入管は犯罪者として扱い、排除していくことになるのです。収容所でのこれまでの扱いは変わらず、時として非人道的行為は続き、収容者の尊厳を蝕むのです。この構図は、アメリカの前大統領時に警官が黒人を痛めつけ殺してしまう、あのテレビで流れたシーンと同質に私は感じます。そこには自分と同じ権利を持つ人としての認識はなく、排外主義以外のなにものでもありません。そして、その思想は、戦後多住する在日コリアンに対して外国人登録法等で厳しく取り締まる警察と同じで、この国の政府はいつまでたっても外国人を治安管理の対象としてしか考えていないと思えるのです。
 問題のある改定案を廃案にしようと、移住連(NPO法人 移住者と連帯するネットワーク)をはじめとした外国人支援を行うNGOらが反対運動を展開し、国会前で抗議行動が行われていました。私も参加したある日、通りすがりの男性が抗議行動参加者の途切れるところでわざわざマスクをずらし、「みんな帰れ!」と吐き捨てたのです。怒、怒、怒。「法」は人々の意識を醸成し、社会の思想の根幹となり、またその人々の意識が反映されて規範は作られ法制化していくと言われます。まさにこの法改定、通りすがりの男の暴言その通りとなるのでしょうか。

社会に存在する、あからさまに差別をする大きな流れ

 (株)DHCの吉田会長の同社公式サイトでの差別発言が問題となっています。競合する会社を「CMに起用されているタレントはどういうわけかほぼ全員がコリアン系の日本人です」とし、「そのためネットではチョントリーと揶揄されているようです」と、在日コリアンの蔑称を用いて表現しています。また別の会長メッセージでは在日コリアンを「似非日本人」などと表現しています。これらのことに同社はまったく反省、訂正をすることなく、現在もそのサイトが閲覧できる状況になっています。国会でも話題になったようですが、この確信的な対応には全く啓発効果はなく、是正不能化しています。今後、DHCと包括連携協定等、提携している自治体の動向、県内の当該自治体がどうするのかが注目されています。
 一方で、在日コリアンの母親を持つ大学生が中学生だった2018年にインターネット上で名誉毀損されたとして損害賠償を訴えた高裁判決で、加害男性に130万円の支払いを命じました。地裁判決から40万円も積み増しをしたこの事件について、原告らは裁判をしなければ問題にできない現状の是正を求めています。注目すべきは、この事件は刑事事件として起訴され科料9000円が命じられており、民事事件においてその加害性が問われたものでした。両判決からアンバランスさを感じるのは私だけでしょうか。ヘイトスピーチ解消法があってもその刑事罰が規定されていないので、その犯罪性、刑罰については課題が残ります。
 他方、2020年12月3日、横浜地方裁判所川崎支部において、威力業務妨害の罪で起訴された元川崎市職員の判決(懲役1年、確定判決)が言い渡されました。この事件は、川崎市ふれあい館に「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう」と書いたはがきを送り、市内の小学校から大学計9校に在日コリアンである元同僚の名前を騙った爆破予告を送ったもので、威力業務妨害事件として報道されました。この事件は「元同僚への約25年にわたる恨みから,名前をかたるなどして脅迫した」との判決通り、犯人は在日コリアンの元同僚にかなり以前から差別投書等を送りつけており、同じ職場で働いていた約25年前にこの同僚が民族名を名乗った際にこの加害者が心無い差別発言をし、問題となったことを逆恨みして起こした犯行でした。この動機が明らかになり、当時研修等の取り組みを行った関係者、特に被害当事者は大変な徒労感を覚えたことでしょう。この事件は差別事件が起こった際に再発しないための取り組みの困難さを物語っています。
 様々な差別事件が起きています。その内容は非常に確信的で大変陰湿です。あからさまに差別をする大きな流れが社会に存在します。そして、それは現社会を投影し、法制度等の規範に反映されています。このような社会の流れは、在日特権というデマで煽り、日本ファーストと主張する勢力が台頭したためです。その主張はネットを通じて拡散されていっています。

差別、レイシズムは、否定しなければなくならない

 ヘイトスピーチ解消法が施行されましたが、理念法のため、実効化に課題を残しています。刑事罰の整備で担保する条例化が必要と提起されていますが、その取り組みは停滞している現状を否めません。ヘイトスピーチを行う者たちの対抗街宣もあり、行政のしっかりした対応が必要ですが、実際には鈍化しています。表現の自由との建前論の中で、差別、ヘイトピーチがあってもそこまで「公(行政)」が規制できないとされているためです。
 しかし、差別を放置していいのでしょうか。姿勢を問われているのに沈黙するのは責任の放棄です。差別があったとき被害当事者だけが傷つく社会でいいのですか。そういった現実が差別の可視化を阻み、確信的差別主義者を温存していく構造をつくっていませんか。
 差別、レイシズムは否定しなければなくなりません。中途半端な取り組みはさらなる加害者をつくります。態度鮮明にしない中立は差別の放置につながります。そしてその放置はとんでもない規範を持つ社会にとつながります。一人一人が共に生きる社会の礎をつくるため、差別にNOを示しましょう。


何が問われているのか 
~津久井やまゆり園事件と優生保護法~

渋谷治己
(神奈川人権センター人権ケースワーカー)

「予感」

 いつか障害者がヘイトやヘイト殺人の標的にされる日が来るのではないか。いつ頃からでしょうか、私の中にそんな予感めいたものがありました。強い者が弱い者を駆逐し、弱い者がより弱い者を追い込んでいく社会です。子どもたちが自ら命を絶ってしまうまでの激しいいじめにあっても、まるで日常の出来事のようにメディアによって流されます。
 津久井やまゆり園事件はそんな予感が、障害者を支援するはずの施設の元職員により当事者19人を殺害、職員を含めた26人に重軽傷を負わせるという最悪の形で現実になってしまったものと感じています。
 
 2016年7月26日早朝、いつものように目覚めてテレビをつけると、津久井やまゆり園の園舎に多くの救急車にパトカー、消防車などが停められ赤い回転灯が光っている。おびただしい数の警察官、救急隊員が車両と園舎の間を激しく行き来している。それが、津久井やまゆり園事件の第一報を知った時の光景でした。
 その時のとても言葉では表現できない感情は、おそらく一生忘れることはないでしょう。
 「ヒトラーの思想が降りてきた」「目標は重複障害者が安楽死出来る世界です」「障害者は不幸を作り出すことしか出来ない存在」植松受刑者が事件前に衆議院議長宛に送った手紙と、逮捕後の供述とされる言葉です。
 このような価値観が植松受刑者だけのものであると言い切れるでしょうか。
 
 この国には1948年から1996年まで【優生保護法】という法律がありました。同法の第一条の目的には、「この法律は優生上の見地から不良な子孫を防止し(以下略)」という言葉がありました。また「表1」があり、当時遺伝性とされた病名や障害名が列挙されていました。この表に挙げられた人たちに、本人の意思にかかわらず国家の力によって強制的に不妊手術することが許されるというものでした。
 社会に暮らす多くの人々の意識に真っ向から反するような法律が、半世紀近く存在し続けられるとは思えません。この法律に表されている価値観は、この社会の多くの人々の意識の底にある価値観と深く結びついているのではないか。
 
 2017年11月、神奈川県立公文書館で優生保護法に基づいて行われた強制不妊手術に関する資料が発見されたことが報道されました。
 【旧優生保護法の下で実施された障害者の不妊手術について、手術を申請した理由や経緯を記録した資料が神奈川県立公文書館で見つかった。10代女性が「月経の始末もできない」として対象になるなど、優生手術の具体的状況が初めて明らかになった。発見されたのは、1962年度と63年度、70年度の公文書で、強制不妊手術の適否を決める優生保護審査会に提出された申請書や検診録など。対象者の生活史や家系図、申請理由などが書かれていた。利光恵子・立命館大研究員が資料を分析して存在を確認した。63年度の手術費用明細書からは優生保護法で認められていない卵巣摘出をした例や、手術で合併症を起こした例があったことも分かった。62年度の資料によると、「仕事熱心で成績も優秀」とされた男性が総合失調症を発症後、半年後好転していたにもかかわらず断種手術の対象となった。】(2017年11月16日 毎日新聞電子版)
 
 次にあげるのは、神奈川県優生保護審査会に提出された「検診録」です。前述の記事にある、2017年11月に発見されたとする資料の中の一枚であり、神奈川県立公文書館で閲覧しました。

生活史

 月満ちて安産、母乳 生後五十日目に肺炎に罹患し高熱あり、ひきつけ重態となる。
 後に脳性小児麻痺の併発であろうと言われた。
 其の後漸次知能発育停止し、諸方にて受診し治療は受けたが良くならず未就学である。

既往歴

 昭和三十五年十一月・・に入園し、現在に至る。
 生后五十日目に肺炎、その他著患なし、

現病歴

 前記脳性小児麻痺(?)に罹患以来知能発育停止に気付き、諸方にて受診加療したが病状の軽快を見ず今日に到っている。

現病歴(イ 身体的症状 ロ 精神的症状 )

    イ 身体的症状

 身長一四五、〇cm 体重四五、〇㎏ 
 胸囲七七、〇cm
 舌咽頭正常、心肺腹部異常を認めず 下肢細長、X脚自立不能であるがつかまりと這行は可能。右上肢運動機能障害され其の為左利きである。
 初潮は三十六年十二月にて其の后順調てんかんのけいれん発作は現在なし。

    ロ 精神的症状

 知能指数は測定不能、一日中坐居幼児の如く遊んでいるが、時々亢奮、粗暴行為あり、月経の後始末も出来ない。

遺伝歴
 実母が精神分裂病であったらしいが詳細不明
 
診断
 精神薄弱(白痴)
 
手術希望場所その他
 横浜市保土ヶ谷区上星川町○○○ 篠崎病院安西功の手術希望
 
 昭和三十七年四月十日

検診医 土井正夫 

 この資料を書き写してご紹介することには大きなためらいがありました。そして今でもためらっています。一人の障害者が、女性が、このように扱われた事実を書き写して不特定の人に紹介することには、どうしても違和感があります。
 しかし、私がどんな言葉を使ってもこの資料を目にした時のやり切れなさ、怒り、恐怖は伝えることはできないと思いました。
 
 閲覧室の窓際の席で待っていると無造作に台車に積まれたA3とA4と思われる10冊ほどの分厚いファイルが机の上に並べられました。
 緊張を抑えながら一番上のファイルを開いて目に飛び込んできたのがこの資料でした。
 「手術希望場所」に書かれている住所は私が子どもの頃暮らしていた実家の隣町でした。そんなこともあり、いっそうこの資料の生々しさを感じたのかもしれません。
 昭和37年、当時6歳だった私はむろん障害はありましたが、父母祖母そして当時同居していた叔母夫婦いとこに囲まれてそれなりに幸せに暮らしていました。その暮らしの間近で優生手術が行われていたのです。
 この当事者が私であってもなんら不思議はない、そのことが感覚として伝わってきました。
 優生保護法の法文は何度も読んでいます。当事者の意思に反した強制不妊手術が行なわれていたことはむろん分かっていました。関係書籍も何冊か読んでこの法律のことを一応は分かっているつもりでした。しかしこの日、自分がこの法律について何も理解していなかったことを思い知らされました。
 資料には検診録の他に、保護義務者が署名している優生手術の申請書、「本系図は本人の母の陳述により作製した。本人以外に精神障害者なし。」と書き添えられた家系図がありました。
 家系図は父方母方それぞれ三代までさかのぼっており、死亡原因、性別、存命の家族で健康な人には(健)の文字が添えられています。遺伝の確認を行ったものでしょう。
 この事実を突き付けられた私たちがどのように行動するのか、言葉にならないほど重い課題です。
 
 全国で優生手術を受けさせられた被害者による損害賠償請求の動きがあり、国は「救済法」を制定しました。しかし、この法律には国としての謝罪がありませんでした。被害者らの反発を受けて安倍総理が記者団の前で謝罪しましたが、それは閣議決定されたものではありませんでした。いわば総理の個人的見解であって、政府の公式見解ではないということになります。
 この経緯から優生保護法が社会的に清算されたとは私には思えません。
 言い換えれば、この社会に暮らす多くの人々の意識の奥底に優生的な価値観が潜んでいるのではないでしょうか。
 植松受刑者の犯行は、その意識がマグマのように噴き出したものであると私には思えてなりません。

「裁判」

 植松受刑者の裁判は今年1月から横浜地方裁判所で始まりました。
 この国の裁判員裁判とはあのようなものなのでしょうか。争点となっていた責任能力の有無だけが争われ、弁護側は、薬物使用による薬物性精神病の状態にあり犯行当時正常な判断はできなかったと主張しました。これに対して検察側は、薬物の影響は限定的とし犯行の計画性などを理由に正常な判断能力はあったと主張し、死刑を求刑しました。
 裁判所は検察側の主張を概ね採用し、植松受刑者に死刑が言い渡され、弁護側は上告しましたが受刑者本人がこれを取り下げ死刑が確定しました。
 この間、植松受刑者は、意思疎通のできない障害者は生きる価値がないとする主張を繰り返し、一部では「植松劇場」などと言われました。公判の場は、障害者への嫌悪や優生価値観を拡散する場になっていました。言い換えれば、彼がなぜそのような価値観を持ち凄惨極まりない犯行に及んでしまったのか、彼一人の問題でありこの社会に責任はないのかなど、私が知りたいと思っていたことは、裁判を通してまったくといっていいほど明らかにされませんでした。
 今、私の中に二つの相容れない思いが重なり合っています。一つは、抵抗できない障害者を19人も殺害し、26人に重軽傷を負わせたのだから最高刑は当然であるということ。もう一つは、極めて重い罪を犯した被告とはいえ、一人の人間の命を奪う決定があのようにあっけなくされてしまってよいのか、そもそも死刑が制度として正しいのか、ということです。
 私の尊敬するある方の言葉を思い出します。彼が間違っているとの理由から抹殺することは、つまり彼の理論に乗ってしまうことにはならないか?
 
 この数年の間に、私たち障害当事者にとって存在を根底から問われる大きな「事件」が相次いで起こりました。この社会はこれらの「事件」をどこまで受け止め、向き合おうとしているのでしょうか。
 津久井やまゆり園事件を受けて、県議会は「ともに生きる社会かながわ憲章」を採択し、県はそれを普及することにより共生社会を目指すとしています。国際障害者年以来およそ40年に渡って、国を始め各自治体、民間団体は数えきれないほどの標語やキャッチコピーを作ってきました。その結果、共に生きる社会は実現したでしょうか。私にはどうしてもそうは思えません。数知れぬ標語やコピーの果てに、津久井やまゆり園事件は起きたのです。
 優生保護法は生き続けたのです。
 学校のクラス、職場、地域という日常の場を障害者と健常者が共有する状況を作ること、それがこれらの出来事を克服するための一歩であり、それ以外に方法はありません。
 
 コロナ禍の中すっかり忘れ去られた感がありますが、これらの事件は障害者の存在の本質を問うものであるということをしっかりと記憶に留めていただきたいと、当事者の一人として強く願っています。


人権ブックレットNo.13を発刊!!

「国際人権保障と平和/戦争
 ―― 多元的な社会のダイナミズム

神奈川大学法科大学院教授 
阿部浩己

人権ブックレットNo.13「国際人権保障と平和/戦争― 多元的な社会のダイナミズム」

 一般社団法人神奈川人権センターは事業計画に基づき、人権被害者の相談、支援、救済活動から差別・人権侵害を撤廃するために人権教育、啓発事業にも活動の重点を置いています。その一環として人権ブックレットを作成しています。

 No.13は、2015年10月に開催された「第26回神奈川人権研究交流集会」での神奈川大学法科大学院教授(当時)の阿部浩己さんの講演録をまとめ、修正加筆したものです。暴力というものを肯定するような状況が拡がっている中で、歴史を振り返りながら国際人権保障の枠組みはその暴力をどうやって封じ込めようとしているのか。1990年に国連総会で採択された「国際法の10年」決議に込められたメッセージの意味とは何だったのか、と阿部さんは私たちに投げかけます。

 国連憲章の目的は、人間の尊厳というものをいかに世界の中に行き渡らせていくのかにある。人間が人間らしく生きていく社会を築いていく、そのために法は何を出来るのか、法制度はどのような役割を果たしうるのか、そこに参画していく人たちは何ができるのかということを、日本国憲法や国連憲章は私たちに訴えている。「暴力」とは人間の可能性を奪ってしまう障害であり、この暴力を封じ込めていくということが平和を実現する。ということを、子どもの権利条約をはじめ各条約や世界人権宣言など様々なデータを引用して解き明かしています。歴史、条約や国内法との比較、平和学の視点、といった多角的な面から「国際人権保障」を学ぶことができます。

 4月から障害者差別解消法が施行されましたが、今回の講演でも「人間モデルの抜本的な見直し」の項で、障害者権利条約について人種差別撤廃条約など様々な条約を引用して解説されました。この項をお読みいただければ「合理的配慮」の意味するところが理解できるのではないでしょうか。

 今回のテーマである「国際人権保障」とは、世界のどこに人間が住んでいても等しく尊厳を保障されるということを実現しようとする仕組みで、人権を保障するということが平和の基礎になるということです。日本国憲法が掲げている脱暴力の理念、これは国際法が求めている理念であり、そして人権保障を通じて日常的に実現していくことができます。

 私たちに今求められているのは、「差別撤廃、人権尊重」へ向けた人権意識の定着化と人権文化を育む環境づくりなど、具体的な取り組みと活動です。本ブックレットがそのための一助となることを切に願っています。


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